文化財めぐり Fコース

今年は出かける日は雨が多いです。

日曜日は市の文化財めぐりFコース『近世の建造物』でした。

まずは『常信寺(松平定行の霊廟)』

霊廟とは亡くなった人を弔うための建物で中に墓石が収められています。

松平定行は松山藩の3人目の藩主で、藩政の基礎を作り上げた人です。

徳川家康の甥にあたります。

本瓦葺の入母屋造り、妻入りの建物で、桁行3間、梁間3間、出組三手先で唐破風をもつ、
一部禅宗様を取り入れた江戸時代初期の霊廟建築を代表するものである

地方の藩主の霊廟としては類を見ない立派なものだそうです。


次は常信寺から歩いてすぐのところにある『松山神社社殿』

本殿・石の間・拝殿、唐門、透塀、御供所、裏門から構成され1865年に建築された往時の社殿群がほぼ完存している。
本殿は権現造り、石の間を古代の土間床とし、東照宮社殿の本来の形式を踏襲している。
江戸時代後期の高い水準をよく示しており、日本の伝統的社寺建築の一つの到達点を表すものとして重要な価値がある。

東照宮とは徳川家康を祀った神社です。だから、

葵の御紋がありました。

東照宮で有名なのは綺麗に彩色されてる日光東照宮ですね。

ここは一切の彩色を加えていない白木造りです。


次は文化財めぐりでも散策でも何度か行ったことがある『伊佐爾波神社』

国の重要文化財に指定されている社殿は、全国に3例しかない八幡造である。このほか、重要文化財の太刀(銘 国行)が伝えられている。
寛文2年(1661年)、弓の名手といわれた三代藩主松平定長(松平家藩主の三代目)は、将軍家より江戸城内において弓の競射を命じられた際、湯月八幡宮へ必中祈願をした。寛文4年(1664年)6月、定長は、将軍家の御前で弓を無事に射ることができ、祈願成就の御礼として社殿の造替に着手した。

また結婚式が行われていました。


お昼ごはんは生涯学習センター』

ちょうど紙芝居をされてる方がいらして、ご飯食べながら紙芝居を見ることができました。


午後からは去年の11月に里山散策で行った『渡部家住宅』

江戸時代末期に建てられた国指定重要文化財の庄屋屋敷。主屋内の南側は客向き、北側は内向きの部屋となっており、土間の上部にある幾重にも重なった大きな梁が大庄屋であったことを物語っている。また、火縄銃を突き出す小窓や隠し階段など戦争に備えた仕掛けが多数施されるなど、内部は武家屋敷の造りをしているが、外見は農家であることを象徴するために茅葺きの越屋根が配置されている。

約150年の庄屋屋敷なんだけどドンデン返しや隠し階段などがある、

まるで武家屋敷のような造りになっていました。


この門は『御成門』、お殿様がいらした時に通る門です。

でも多分お殿様が来たことはないだろうとのことでした。


最後にうちの近所にある『豊島家住宅』

3年前に撮った写真です。

中予地方の豪農大庄屋格であった豊島家の邸宅である。1758年(宝暦8年)に建設された主屋(おもや)と表門、長屋門、長屋、米倉、衣装倉、中倉の計7棟が重要文化財に指定されている。豊島家には、藩の軍用馬の飼育が命じられ、馬屋が設けられていた。現存する長屋は、もとの馬屋を後に居室に改造したものである。また、当家は幕府の巡見使の宿泊所にも使用され、巡検使が滞在した座敷が残されている。主屋は、奥の居室部と手前の座敷部を雁行形に配し、これらを相の間で繋いで一体化し、それぞれに入母屋造屋根を架けた複雑な構成に特徴があり「井門の八棟造り」(いどのやつむねづくり)と呼ばれる。

こちらの建物は渡部家よりも100年ほど前の建物です。

今ちょうど茅葺きのふきかえ工事中でテントや足場だらけでした。

家の中も見学することができました。

畳敷きのトイレ、初めて見たぁ  

螺鈿細工の家具や古道具など珍しいものがいっぱい!

「鑑定団に出したらいくらくらいになるかなぁ?」と言ってる人がいた  


初めて行く所が多くて良かったです。

去年は「この日以外はいつでもいいよ」と言ったのに

ちょうど文化財めぐりの日に登録会をすることになったし

一昨年は体調崩して行けなかったしで、やっと行くことができました。

これで9コースある文化財めぐりは一応全部まわれたはず

またどこか探して行きたいなぁ