文化財めぐりDコース

昨日は12月の文化財めぐりでした。

Dコースは3月の文化財めぐりで行ったコースです。

http://d.hatena.ne.jp/purinnohaha/20120328/1332911620

12月はIコースのはずなんだけど、

10月のお城下ウォーク

http://d.hatena.ne.jp/purinnohaha/20121027/1351326500

の時に工事中だった附属中学校の講堂がまだ出来上がってないので

3月のDコースと入れ替えたそうです。

3月の時は逆回りだったけど、

まずは石手寺

ここは訶梨帝母天堂(かりていもてんどう)、鬼子母神の社です。

妊娠したら安産を祈願して石を1つ持って帰り

無事生まれたら石に子供の名前を書いて新しい石と一緒に供えます。

うちの子供達も元気に育つことを祈願して供えました(^^ゞ

三重塔の裏にお砂踏みじゃなくてお砂撫でがありました。

袋の中に八十八ヶ所の砂が入ってます。

時間なくて全部は撫でられなかった^^;


次に『伊佐爾波神社』

ちょうど結婚式が行われるところでした

これからの若い人たち、いいなぁ

おめでとうございます、お幸せに(*´∀`*)


次は道後温泉本館

一度は入ってみたいと思いつつまだ入ったことがない。

道後温泉は開湯より約3,000年余りの歴史があり、神代の頃からある日本最古の名湯である。開湯には様々な説があり、『伊豫国風土記』には、大国主命(おおくにぬしのみこと)が重病の少彦名命(すくなひこなのみこと)を助けようとして掌に乗せて温泉に入れたところ、不思議とよみがえり、温泉の側にあった玉の石を踏んで立ち上がり、「真暫寝哉(ましましいねたるかも):暫く昼寝をしたようだ」と叫んで、石の上で舞ったと言われている。この伝承から、大国主命少彦名命の二神を道後の湯の神として、道後温泉本館側の湯神社に祭祀してある。もう一つの開湯伝説として、白鷺による発見がある。宝永7年(1710年)に完成した郷土地誌『予陽郡郷俚諺集(よようぐんごうりばんしゅう)』の鳥越山鷺谷寺(後の大禅寺)の条に、昔脛に傷して苦しんでいた一羽の白鷺が岩間から噴出する温泉を見つけ、毎日飛んで来てその中に脛を浸していた。暫くすると傷は完全に癒えてしまい、白鷺は完全に元気になって飛び去ったという。これを見た人達は大変不思議に思い、この温泉に入浴してみると爽快で、疲労を回復する事が出来た。また、病人も入浴してみると、いつの間にか全快する者が現れた。そこで地元の人達は、温泉の効能の著しいのに驚くとともに、盛んに利用するようになった。大国主命少彦名命の逸話は神話の世界であるが、湯の精霊の人格化という点では興味深いものがある。日本各地の温泉に関する神社には大国主命少彦名命の二神を柱として祭祀しているところが幾つかある。

この石に少彦名命の足あとだとされている跡が残っている。

みかんの皮を乾燥させて作ったみかんツリー

前日に点灯式がありました。

灯りがともってるのを見てみたい


次に『伊予かすり会館』を見学して

『松山総合公園』でお昼ごはん

この公園は山の上なので見晴らしがいい

公園の中に皇帝ダリアがいっぱい植えてありました。

もう少し早い時期に来たら綺麗だったでしょうね


次は太山寺

このお寺は駐車場からが遠い

登り坂がきつかったぁ(+o+)


最後に円明寺

普段は見れないところを見学させてもらえるはずだったのに

住職が出かけてて見学できませんでした。

今回の講師の先生は蟇股や貫などの説明を詳しくしてくれました。


かえるまた【蟇股】

社寺建築において,虹梁(こうりよう)や頭貫(かしらぬき)・台輪(だいわ)の上にあり,頂部に斗(ます)をおいて棟木や桁・通肘木(とおりひじき)を受ける繰形(くりがた)付きの幅広い材をいう(社寺建築構造)。カエルが足を広げた形に似ているところからこの名がある。はじめは,虹梁上で上方の荷重を受ける構造材として1枚の厚い板から造られていたが,平安時代後期に装飾材として組物(くみもの)(建築組物)と組物の中間におく厚みの薄い輪郭だけのものが現れ,以後これが大いに発達する。

これらでいつの時代に造られた建物かがわかるそうです。


文化財めぐりは3月から12月まで月一回、全部で9コースあります。

まだ行けてないコースは来年挑戦です。

遊び回れるように体調を整えておかなければ(^^♪